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普通に学生としての生活を送った。
朝起きて、家で適度に勉強して、4、5限と授業に出て、そのあと図書館で勉強して、帰宅。めし。
こういう生活も嫌いじゃない。
根無し草
私はふとした時(とくに歩いてる時)なんかに、よく「自分が小説に書かれたら、どんな風に書かれるのかな?」なんてことを考えることがある。
自分で自分を書くのではなく、誰か自分を知っている人が自分を書くとき、自分はどう書かれるのか、興味がある。
自分なんていうのはおもしろいもので、
普段自分が、これが自分だ、と思っている自分のほかに、もう1人、周りの人が思い描いている“自分像”みたいな「自分」がいる。
その「自分」が意外にも、自分が思っていた自分よりも自分らしい、なんてことは多々あって、モノマネをされた時や、クセを指摘された時なんかに、ハッ!とさせられ、意外な自分の一面に気付く、なんてことも多い。
もちろんここで私は、どっちが本当の自分か、なんて言うつもりはないし、どっちの自分を大切にしよう、とか言うつもりもない。
ただなんとなく、広く多く人とつながりを持つってことは、たくさん生きられることと同じなのかなって、
逆に言えば、人とつながりを持たないってことは、「自分」が死んでいくことでもあるのかなって、そんなことを思った。