最近僕はよく泣く

ハウルの動く城

さっきも風呂でリリー・フランキーの『東京タワー』を読みながら
ひとつぽろぽろしてきたところだ(←恥ずかしながら)
でも、リリー・フランキーのこの本は
ただ彼の家族についての話が書いてあるだけで
悲しい話ではない(←あるんだけども)


というか、もう言ってしまおう
この世に悲しい話というのはない


というのが僕の考え


僕(人)が泣くとき、
それは自分の感情をその作品に投影しているからだ


いや逆かな


その読んだり見たり
享受しているなんらかのストーリーの一部によって
自分の悲しい体験が啓発させられるから(←想像上のでもいい)
僕(人)は泣くのだ


だから、僕が泣くとき、
見ているのは作品ではない
そのとき、僕が見ているのは
自分の中の経験であったり想像だ


また、だから
となりのトトロを見ても子どもは泣かない
それは自分の中に、
大人が泣くような「トトロの泣きどころ」が
自分の経験の中に生み出せないからだ



僕は家族が大好きだ
だから、『東京タワー』を読んで泣く


別に、悲しい物語があるわけではない
あるのはいつだって悲しむ自分なんだ