今日は誰がなんと言おうが4月30日と5月1日を足して2で割った日

上村愛子

今日は4月30日と5月1日を+て2で÷った日だ。
要はわたしはこの今日に、4月30日のことと5月1日のことをまとめて書いちゃいたい、
ただそれだけのことだ。
だから本当のところ、今日は言わずと知れた2006年5月3日、憲法記念日だ。
のっぴきならぬネタばらし。



今日(4月30日)は私にとって待望の日だ。
単なる4月30日に対して、「待ちに望む」なんて書く上に、
仰々しく、“タイボー”なんて響きがついていることからも
いかに私が今日という今日をタイボーしていたかが分かると思う。
事実、1週間前から私はこの日を待ち焦がれていた。
それもそのはずである。
なぜなら我が隣町にあの上村愛子が来るのだから。
自分がこの世のなによりも好きな私は、しいて逢いたいという人はあまりいない。
が、上村愛子はベツバナだ。
彼女は私の逢いたい人ランキング堂々第2位を受賞している。(←ちなみに、1位はロシアの妖精イリーナ・スルツカヤ
その理由は、好きだからだ。(自己循環論法)
その上村愛子がわが隣町に来る上に、
料理までするというのだから、もう待ち焦がれて恋い焦がれて、火もいらず。
まさにIHクッキングヒーターにこの上なしだろう。(←分かる人は分かる)
なんというか、上村愛子をわざわざ東京におけるフロンティアにまで来させるということ、
そして、スポーツ選手である彼女に料理をさせるということ、
この2点が私の中に眠るDer Sadismusを非常にこちょこちょくすぐり、たまらなかったのだ。


しかし、これがすべて裏目に出た。
なぜなら、上村愛子があまりにも普通だったからだ。
っんなわきゃない。むしろそこが好きなのだ。
あのぶきっちょうな受け答えと、汚い声には本当に幸せをもらった。
すなわち、問題は先に述べた通り、上の2点だった。


上村愛子は紛れもないスポーツ選手である。
その彼女が、なぜこの東京の最果てくんだりまで来なければならないのか。(←いいすぎ)
その彼女が、なぜスポーツとは関係ないトークをさせられ、
挙句の果てに料理までさせられなければならないのか。
しかも、両手に最新鋭デジカメとケータイを携えた私を含む観衆にその一部始終をぱしゃぱしゃと撮られる始末。
その上、しゅくしゅくと彼女のブログを読んでいる私は知っている。
彼女はついつい先日まで沖縄でリフレッシュしていたのだ。
それで帰って来た矢先にいきなりこれなんて……
なんてかわいそうなんだ!!


たしかにファンとの交流という大切な時間であるのは間違いない。
かくいう私も未だにケータイの中の彼女の写真を見ては、ところかまわずほくそえんでいる。
しかもその悦っぷりは衰えるところを知らない。
とはいくものの、彼女の行くところ行くところ付いて回り、
乱写する観衆の姿は、それが一過性のものであることを除けば、パパラッチとたいして差異はない。
その中に自分もいるのか!
この思いから私は一気に冷め、すぐに会場をあとにした。
わけではないが、少なからずもうそれ以上に写真をとることはなかった……、とさ。



しかしこうなってくると、山本常朝『葉隠』の中の言葉が思い出されるというものだ。



“恋の至極は忍恋と見立て候”





あと、ヴェンダースはとにかく話が長い。
おまえには一行で十分だ。いいやつそうではあったけど。