もくもく盲目雲

おそらくいやぜったい目では見ていないにもかかわらず確実に映像として目に見えている夢かデジャビューのようなものがあったとして、いやあり、それを仮にクマと呼ぶ。クマは目に見えないが目にみえるクマと、目に見えないが目にみえないクマの2つに分かれる。自主的に分かれてくれるわけではないので、分けることができる。わたしはいつもすべてのクマを見たい、と常々思っているというよりも欲望している。欲望するという動詞はたぶん存在しないが、今、私が使ったので存在した、少なくともいつもと常々は重複している。しかし、どちらか一方のクマを見えたと感じたとき―つまりみえているクマをみえた、と感じることはないので、みえていないクマをみえたと感じたとき―今までみえていたクマがみえなくなっている。オセロにたとえるならば白に返した瞬間に黒に返っており、白と黒の比率は常に一定になってしまう。そのため、この勝負に終わりはなく続く引き分けだけがあるのだろうか。
盲目の曇り空しかない。