雨季に離れる浮世

敢えて例は挙げない。フォーイクザンポーはない。
いままでのモグラ生活とは異なり接客業などちろちろと社会進出を試みてみてきて、気づいたことがひとつ、といわず多々ある。その中のひとつ、iは浮世離れしている。この浮世が飛ばす隠喩の解析は難しい。社会性であり(そうでなく)、世俗性であり(そうでなく)、人間性であり(そうでなく)、どのような言葉もぴたりとは当てはまらないため、どのような言葉も指すことができるが、できなくもある。だが現実離れ(した)のような+の超人的離れ感ではない。
なぜそんなことでそんなことを思うのか?なぜそんなことにそんなに気をつかうのか?なぜそんなことでそんなことをするのか?(敢えて指示語の列挙で抽象(中傷)感を高めてみた)iには分かるが分からなくて、生きづらさとともにただもうそっちには戻れないのだろうかという思いだけが重みを増していく。
なによりひとつ気がかりなことは、此処は善悪の彼岸なのか?此岸なのか?ということ。
気分は悪くないどころかむしろ良いぐらいだ(ここは日記ツォーネ)。