門門

(もちろん面白いのだけれど)学問的なものにおいて、一種の方法で語る、語ろうとする、語れてしまう、語っている(以上はやはりなにかしら「絶対」として)ということ自体が気持ち悪い。もちろんそもそもテクストを読めていないがために根拠浅薄な「解釈」をしている、しようとしているせいもあるだろうし、まだ「仕事」でないため実現不可能な「理想」(ないし「観念」)にひた走っているせいもあるだろうが。でもね、と。
「やりたいこと」はできる(うる)のか?