映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

映像という神秘と快楽―“世界”と触れ合うためのレッスン

反復。映画。写真。「反復」や「視覚的無意識」(ないしカメラ的視覚)の問題系として映画を扱い、それを「快楽」や世界の肯定(信仰)のレヴェルに話を持っていくのはおもしろい。だが、すでに著者が断っているように、基づく根拠が「経験」なだけに説得力はうすい(俺はそうは感じない、と言われればおしまいだ)。だが、映像のこと(映画とはどのようなものか?)を考えるならば、上記の観点は非常におもしろく、要はこの「経験」を「理論」に変えればいいわけだ。そしてきっとそこで、「映像のイデオロギー」や「強度」の問題系がひとつの鍵となってくるだろう。