旅の端はキリスト
ジョンの「イマジン」(の捉えかた)は2つのDenkschema(思考パターン)をあぶりだす。それを一枚岩と捉えるのか?(肉眼では一枚岩に見える)素粒子の振動と捉えるのか?どちらも「the world will live as one」にかわりはない。
「ほぼ日」で糸井重里のミニコラムに反応した。以下に引用。やばめだが。
「シルク・ドゥ・ソレイユ」で、
何度も耳にしたことばが「クレイジー」でした。
そういえば、アップルの一時のキャンペーンテーマも、
このことばだったなぁと思いだします。
岡本太郎の「誤解の満艦飾になれ」も、同じことですね。
「誰が見ても正しく見える」ものよりも、
「へんてこだけど、なにかを感じさせる」もののほうに、
人間の関心は向かうんだということは、
昔から、わかっていることなんですけどねぇ‥‥。
「クレイジーをやりきれる」ための、
日々の精進が要るんですよね。
これはアーティスト論ではなく、一般(人)論だ。
なにか新しいモノを生み出す「創造」というcreativityではなく、新しいコトを生み出す「変形」というcreativityは不可能だろうか?
そしてまたこの場合「クレイジー」とは具体的にどのようなものを指すのだろうか?