たんじる

年齢が権力による失効手続き以上の意味をもたなくなった感がある今日この頃の数十年と数日前わたしは生まれましたと郊外の中心で叫びたくもなる、今月号の論座で特集されている笙野頼子のエセーがあまりにも私的で肉的で臭くて泣けてくるから。

時代と習慣が目を背ける真実を書きたかった。売り上げと交流だけが実績だと思っている人々から余計者視されても。だって人間がもし、社会的諸関係や数字の産物に過ぎないのなら、例えば孤立、孤独である人を「なにもしていない」と社会性がないと言い切るのなら、一貫した時間や思索の可能性を何が守るのか。「執筆も活動か」などという問い以前の根本で、個が個として存立するための尊厳において―。
  「三里塚チベットネグリドゥルーズ―虚構と想像とS・Y・U・J・M」

論座 2008年 06月号 [雑誌]

論座 2008年 06月号 [雑誌]