窓ぎわのトットちゃん

ブログを始めたことで、私は日常に目を向けるようになった。日常とはほんとおもしろいものだと思う。日常は見ようとしなければ一向に見えてこないが、見ようとすればそのポテンシャルはほんとにすごい。パのないパチンコ屋の看板(ほんとにある!)や明らかに整形まるだしのパートのおばちゃん、トイレの鏡の前でやたらと自分の髪型を気にしてる男の顔や酔いどれのサラリーマン、音姫。世の中、おもしろいものは本や映画や音楽、スポーツなどだけではないなとほんとに感じさせられる。ただ少し自分の中のアンテナを伸ばすだけで、世界は変わる。黒柳徹子の小説『窓ぎわのトットちゃん』にこんな一節がある。
「古池や 蛙とびこむ 水の音…… 池の中に蛙がとびこむ現象を見た者は、芭蕉のみでは、なかったろうに。湯気たぎる鉄瓶を見た者、林檎の落ちるのを見た者は、古今東西に於て、ワット一人、ニュートン一人というわけで、あるまいに。世に恐るべきものは、目あれど美を知らず、耳あれども楽を聴かず、心あれども真を解せず、感激せざれば、燃えもせず……の類である」。
そもそも、日一日として同じ日はないのだから、ただ生きているだけで毎日がおもしろいのは当たり前のこと。しかも、誰だって子供のころは毎日が新鮮で、おとぎ話のようにキラキラ輝きを放っていたはず。それをいつのまにかつまらなくしてしまったのは、錯覚にすぎない生活への慣れか、日々の忙事か。ブログを始めたことで、ネタ集めというひょんなきっかけではあるが、私はまた日常に出会った。そういう意味でもブログはとてもいい。