ふつうの定義

海外に行くと自分の中にあった
「ふつう」が分からなくなるなんてことはよくあることで、
Deutschlandに行った時は
鉄道の鉄橋の上のところに人が2人で座って
ふつうに会話をしていたのを見て
そりゃあ驚いたものだ


まあ、そんな大げさなことではなくても
昼間からビールを飲むことや
授業中にがんがん発言すること
Taschentuchでぶひーんと鼻をかむことなど
数えればきりがない


そんなとき、Huhnな私は
ここではなにが普通なんだろう
なんていう風に、ふつうを探してしまうけど
そんなことは



Quatsch



だって、「ふつう」なんてどこにもないんだもの(みつを)
もちろん、
日本には日本の、ドイツにはドイツの、
普通があるけれど
一つ国が違えば、
「ドイツ」と「ジャーマニー」、
「ジャパン」と「ヤーパン」
国名でさえ違う


だから結局は、世界胸中の「ふつう」はどこにもなかった
という結論で、


つまり、


異常なんてものもなかった


世界はいつだって平等だ
在るのはいつだって自分だけ