複製技術時代におけるラーメン店舗

なにかいつもあまり行かないような土地に行くと、
その土地でしか食べられないものを食べたくなる、私
で、私の場合は基本独りで行動しているので
それがラーメンだったりすることも多い、なにせお手軽だし、Leckerだし、
が、どうだろう
今、ラーメンで、(←一応、ここでは有名ラーメンとしておく)
その土地にいかなければ食べられないものなんてあるのだろうか
自分の中では、前までは
中野に来たからには「青葉」を食う
という脅迫にも似た観念があったけれども、
今ではんなこたあ必要ない
だって、飯田橋にも、鍋屋横丁にも、新宿御苑にもあるんだもの(みつを)
無論、それはなにも「青葉」に限ったことではない
それはすべての有名ラーメン店に共通していえることだ
ここで、
「ちょっとまった、俺は御当地系で1店舗しかないラーメン屋しってるぜ」
という人もいるだろう
だが、私は思う
それは、今だけだと、
この先人気が出て話題になれば、
そのラーメン店舗は確実に複製される
まあ、さいあく、カップラーメンになる
これをベンヤミンなら「アウラの喪失」とか
言うんだか言わないんだかは知らないけれども、
とにかくそういうことだ
Xという都市にいく=Yを食べる
みたいな単細胞で単純な図式が全く成り立たなくなってきている
ちなみに、別に私はここで、
「青葉の危機」を訴える気は毛髪ほどもない
むしろ、その逆、
私が感じたのは
Y(青葉)の拡大によるX(都市)の消滅である
しかし、この辺でもうめんどくさくなってきてることは言うまでもない
要は、
どこでもいい、都市とは、例えば
池袋とは、なにをもって「池袋」とするかということ、
サンシャインが、立教が、
日本全国あちこちにあったら
どうやって「池袋」を「池袋」と判断するのか?
それは池袋が増えるのではなく池袋が消えることを意味してて
選択の自由の拡張なんかではなく選択の縮小で
ラーメンもそのひとつ、ということ
地方の大型スーパーとかね、
便利さと消費のみを「目的」とした街
コンビニエントタウン
都市を支えているのは、人ではなく景観、店舗、建造物なんだ
で、それが画一化、均質していく
こんなのって日本特有なんじゃん?
じゃあ、日本はいったいどこに向かってんの?
「東京」だよ
もひとつ言えば
皆がもつ「東京」というイマージェだよ
USJなんかも、アメリカナイズじゃなくて
トウキョウナイズなんだよ
遊園地がそこここにあるとか
なんか日本が「東京」の絵の具でベタ塗りされていってる
それが、現代日本における東京の複製で
ネオ・コンクリートジャングルなんだ
このままでは日本は東京化す(←極端)



てか、ラーメンの話はどこいったーーーーーっ!!!!!




おわり


おつかれさまでした