I'm coming

Hallo, I'm coming
こんにちわ、わたしは神というものです
ではなく、ただいま
咳みたいな、香港から、ゴホンコホン


今回の香港旅行で特に何をしたわけでもない、
ぼくにとって旅行は、自分の中の「狂気」との出会いだ
それはラカンの言う、
「私が正気であることを自明の前提とする」知への懐疑といっていい
私が思う、香港を形容する3つの形容詞
くさい、うるさい、きたない
この3つの言葉は、どれも香港を形容しているけど、「香港」を形容していない
これはあくまでも、自分の文化的コード(日本)から見た香港の「印象」にすぎない
もし本当に、「香港」がいつもくさくて、うるさくて、きたなかったら
今頃、世界は香港難民だらけだ
事実、んなこたぁないから、「香港」も、んなこたぁない
何も詰まっていないけど、つまるところ、ぼくはどこにいっても、
自分の国と旅行先の神経衰弱ゲームをしているだけだ
でも、神経衰弱ゲームにもいいところがある、
それは、多くのミスペアを見つけることによって
自分の中のわけのわからない
巷では、あのひと生理的に嫌い、なんていっちゃう、いかがわしさに
ひとつの区切りがつくということだ
自分の中のもやもやしたいかがわしさは
神のごとく断定的で排他的であるくせに根拠がない
神経衰弱ゲームはそのいかがわしさを、「いかがわしい」と教えてくれ、
メイドよりも、生理を整理してくれる
いかに、ぼくの好き嫌いが、ポケットの中のイヤホンのように
自分以外のいかがわしさにからみ取られているか
それが分かれば、あとは絡まったコードをひとつひとつ解いていけばいい
もうその時点ですでにいかがわしさもいかがわしさではない
適当に、「イカがわしさ(I'm a cuttlefish)」とでも言わせておこう
ちなみにイカは「烏賊」と書くらしい、けど書かないほうがいい


ぼくじゃないものとの出会いはぼくであるものとの出会いでもある
そして、ぼくじゃないものとぼくであるものを区切ってくれるものはすべて
ぼくにとって、思想だ
だから、田原総一朗顔して、思う、想うのも思想だし、
旅をして、see、sawするのもまた、思想だ



余談:
最初ぼくは、I'm comingをI'm commingと書いていました
もっと英語を勉強した方が良さそうです