世界の車内から

帰国後、はじめて満員電車に乗った。
いや、都内一沿線の家賃が安いと聞く西武線に満員電車は存在しないから、
大学に入ってからはじめて満員電車に乗った。
正確にいうならば、満員でもない。
満員という語が乗車率100%を指すなら、
中央線のピーク時は乗車率200%とも噂されるから、
満員を超えた満員、超満員電車に乗った。というのが一番適切だろう。
なんにでも「超」という言葉を付ければいいもんでもないが、
ぼくは「超」という言葉が意外と好きだから良しとする。
「超人」なんて、よだれがしたたる。


どうでもいい。


超満員電車内の空間は言わずもがな、筆舌し難いほどに凄まじい。
電車なのだから、必ず目的地に到着することは自明なことにも関わらず、
もしかしたらこの電車、永遠にこのまんまなんじゃないか、
なんて錯覚を抱かせるほどの4次元空間を形成している。


ちなみに、ぼくの見識では欧州に超満員電車というものはない。
どころか、ドイツ語では超満員電車という言葉さえもないように思えるから、
もはや架空の乗り物とさえ言える。


だからといって、日本人が、
なんだかんだいうけど満員電車は日本独自の文化・社会現象だし、
ほんとうのところ、大好きなんだ。
というわけではない。
満員電車の中は、人が満員なのはもちろんのこと、不満も満員なのは事実だ。


ぼくの浅はかな考えによるなら、
終電時の満員電車解消なんて、ドイツのようにもっとバスの交通システムをしっかりと整備して、
一時間に一本でも深夜バスを機能的に運行すればすむ話なんじゃないか、
と思うけど、そういう動きは表面上には出てこない。
それに、たぶんそんな簡単なことでもない。


なにはともあれ、(←いい接続詞を募集中)
満員電車ならぬ、不満員電車にも関わらず、人々は満員電車の現状を変えようとはしない。
国立駅は今年で開業?80周年らしいけど、
満員電車はいったい今年で開業何年目に突入したのだろうか?
その歴史についてはそろそろ来年あたりセンターで満員電車史の問題がでる
わけはない。
とにかく、なにか不満があってそれを変えたいと思うなら、
なにかアクションを起こすことがまっとうだとぼくは思う。
なにもアクションを起こさず、ブーブー文句を言い、
はあこんな毎日ってほんと最悪、なんてイライラして帰宅するのは、
単なる被害妄想としか思えない。


だけど、ここでまたひとつ思う。
もし日本人が不満をすべてに対していつでも表すようになって、
海外のように日常的にデモやストが行われるようになったとしたら、
それでもまだ日本は平和な国だといえるだろうか。
ぼくには暫定的な結論でさえまだ出ない。
ぼくは平和ボケと呼ばれる日本が大好きだ。


ただ思うことは、今もどこかに確実に不満は蓄積されているのであり、
日本のような内に個を持たない総体コミュニティーがもし暴発を起こしたならば、
それこそもう誰にも止めることはできないだろう。







長いな。


長州力の髪かっ!!



プレステ:
ちなみにぼくは、満員電車自体は好きですが、
満員電車の中で「死ぬー」とか鳴く輩が大嫌いなので、二乗して、素因数分解して、
満員電車が嫌いです。