回顧禄:リアルが見えない

図書館の外で誰そが誰そために喜びの雄叫びをあげている。
誰その喜びに誰そが協参し、協讃している。
無論、そんなこと、ぼくにはできない。
なぜならぼくが絵に描いたようなエゴイストだからだ。
では、絵に描いたようなエゴイストとはなにか。
それは、ぼくだ。(帰結)
その点ははじまり。
絵に描いたエゴイストの定義が実存しない限り、
ぼくが絵に描いたようなエゴイストであり、
絵に描いたエゴイストはぼくである。


常に言葉は何も表さない。
ただ、初めにはじめがあり、終わりにまたはじまりがある、
現実を回す無限ループに過ぎない。
その間、はじまりとはじまりの中空は
延々と永遠がただひたすらに引き伸ばされる。


ぼくの意識/世界はもう言葉の浸食作用により蝕まれている。
これは当然のことだ。
なぜなら侵食作用だからだ。(完結)
浸食作用は蝕むから浸食作用なのだ。
文意はない。
ただひたすらに流転、回転しているだけだ。
浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている浸食作用に蝕まれている
つまり、喰らわれている。


世界はすでに虫歯だらけだ。
なぜなら蝕まれているからだ。
浸食作用に蝕まれているからだ。


だが世にもまだ侵食作用により腐蝕していないものがある。
それは無言の肉体だと、ミシマなら言うだろう。






長い上に余談まで:
ちなみに言葉は共食いする。
いまぼくはヒデオに少し喰われてる。