最後の清算 映画篇(1)

プロローグ
たしかにこの大量にある映画の記録を一度に消費しようとすることは難しい。そもそも冒頭から、たしかにこの、という言葉ではじめることからしてすでに無理がある。
ならば、ここでコップの理論、一杯を一杯、いっぱいをいっぱい、ippaiwoippai(筆記の限界)として一気に転換してしまう、を用いよう。このことにより、ひとまずこの困難から回避することはできた。いやまだしていないのだから、できるであろうというのがふさわしい。
一日一映画(一日一善)。おお、なんと語呂の悪いことよ。
ただし、これで何度目になるかは知れないが私は(系統だった)鶏頭である。