二謝択一

感情論 事の発端はダジャレかもしれない
ドイツでは―なんてことから書き始めればたちまち長くなるので―日本(とうきょう?)では、ありがとう(Danke)のときも、すいません(Entschldigen)のときも、すいません(Entschldigen)と言う(人が大半)。
電車で席をあけた―すいません
落し物を拾ってあげた―すいません
タバコ―すいません(くだらない)
親切をした側の私(あつかましいがここではあえてこう書かせてもらわなけらば話がすすまない)は、別にすいませんと謝られてもうれしくない。どころかむしろジャッキー(天邪鬼)な私は、謝られるぐらいならしなきゃよかったですか?、とさえ思う。とはいえ私もすいません派であった。つい先ほどまで。なぜ私がすいません派を辞めた、止めたのか(元すいません派)はとても単純で一行程度で十分だ。
「すいません」と言われるのと、「ありがとう」と言われるのと、どちらがうれしいか。私の場合それはありがとう。だから私は今ありがとう派(二行)。
今日は私のサラダ記念日。いま、会いにゆきます