最後の清算 映画篇(4)

光が見えた。
いや降りた。舞い降りるなんてものではなく、唐突に打ち下ろされた。という、何か主語(S)をもつようなものでもなく、突然に、忽然とそこにあった。
いくえにも、いや料理BAN!BAN!ではなく、幾重にも分散し、素粒子のように微細で目に見えない(肉眼できない)ものと化していた道が、いや道になるはずの、いや道になるであろうと信じていた、いや道になってくださいと祈っていた、いやもはや祈ることも忘れ、存在しないにも関わらず、存在だけはある。前・道。つまり、プロト・ロードだったもの(「だった」のであるから私が見たものはプロトではない)が突如として私の前に出現した。よりも現前したの方がより心理(真理でもあるかもしれない)描写として正確だ。というよりも見えた。いや見た。否。強制的に目に浸入された。あれは稲妻だった。すると、すべて―はウソだ―一部が鮮明に、いや響きも私の印象(心象)に含めるならklarになった。その名の通り、Kraftwerk(クラフトヴェルク)が私にとっての発電所だった。だから、それが今日という日だった。
Alles klar?