やっぱりノキア100人乗っても大丈夫

ノキア信者

今日(7月12日)は「ありあまる自分の生きづらさ」について書こうかな(書きたいな)などと、電車の中でふらりと考えていたが、如何せん今では「ありあまる自分の生きづらさ」という表題しか浮かんでこない。なぜあのときメモらなかったんだと、そのときの記憶をたどり、シーンを想起してみれば、なるほどケータイを必死でいじくっていたのだ(ちなみに漢字では“弄くる”)。なぜなら、
ケータイを変えた(NOKIA zu NOKIA)。
というよりむしろ、自分ではまだ変えたくなかったにもかかわらず、故障+(水分混入による)修理受領不可で強引に、変えさせられた。
ノキアの遍歴は続く。