脱本質論に向けて

だれが言いはじめ、いつのまに自分の身体に入り込んでいたのかは知らないが、「客観的」という言葉は問うた方がいい。「もっと客観的に考えるべきだ!」など、いろいろと冷静さ明晰さとともに用いられてきが、やはり客観的に考えるということはできるはずがない。それに加え、客観的に考えた末に出た結論。自分の、人の意志が介在してない結論。というのはなにかそのうしろの「大いなる意思」を想像させる。それならば、主観を徹底的に散らす方にエネルギーを使った方がずっと現実味がありそうだ。
おもしろい「時代」がきている。