近況報告や日記やアートのことや

今の自分は尖ってるからたぶん長くなる。
秋に院試があったため、夏はいわゆる「小難しい本」を読むことを怠った。その影響だろうか、さいきんどうも思考が鈍い。あたり前のことをあたり前のようにしか考えられなくなっている。これではなんだかつまらない。
べつに「小難しい本」を読むことは決して「凄い」ことではない。ただそれは(教養ではなく)知的「体力」を必要とする。「小難しい本」に書かれている言葉は日常のコトバではない。そこでの状況は会話とは違う。会話は自分の中にあるボキャブラリとの勝負だが、「小難しい本」は(自分の中にはない)自分の外にあるボキャブラリとの勝負だ。だからいわゆるコミュニケーションのようにいかに円滑に物事を回すかではなく、どれだけ自分の表現の「外」にガツガツ喰らいつくかが問題になる。わたしはこの「ガツガツ度」を知的体力と呼ぶ。知力ではなく体力だ。
そしてそれはアート鑑賞の際にも同じことが言える。ありとあらゆる思考と施行で攻めてくる現代アーティストに対していかに対峙しかつ退治するか。いや退治はしなくてもいい。そういった知的体力、未知を思考するエネルギーをいっちょ充電しようとアート鑑賞に行った。

『伊藤豊雄 建築|新しいリアル』
http://www.operacity.jp/ag/exh77/

現在、未来の描き方(思い方)について模索しているわたしが「新しいリアル」なんて言葉を見てしまったら行くしかないでしょう。
インフォメーションとして、彼(伊藤豊雄)は「いとうとよお」と言う。
感じとしては玄人向け(建築関係者向け)という印象が強かった。そのため、建築に関して素人からさらに毛抜かれたようなわたしには、溶接?(うむ、建築ワードがじつに思い浮かばないというか、たぶんストックにないのだろう)用の木材の幅や使用したネジ、設計図関係のことを記されても、いまいちリアリティを持たない。ただそんな建築・ド・素人(フランス語風)のわたしにも彼の思う「新しいリアル」は伝播してくる。
これまでモダニズム建築が目指してきたものは均質なグリッド(格子)の美学だった。それは未だ都心に次々と建設される高層ビル群のそれにみえる。しかし、当初の「フューチャー」な未来像とは異なり、無駄なものをそぎ落とし「純粋」に高みを目指すその美は、いつしかある種の冷たさを持つようになった。ブレード・ランナー攻殻機動隊、そこから生み出される未来には暗いものが多い。人も建物もまるで器械のようだ。
伊藤の未来像、「新しいリアル」はそれとは異なる。彼の建築は「生物」だ。ぐにゃぐにゃと曲がる非合理な屋根や床。それは今までの均質で静止したリアルではない、虫のようにもぞもぞと生成するリアル(エマージング・グリッド)を見せてくれる。
わたしはそのリアルに共感している。3000円のプログラムだって高くはない(泣)。

『コネクティング・ワールド: 創造的コミュニケーションに向けて』
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2006/ConnectingWorld/index_j.html

情報化社会の恐怖があちこちでささやかれていても、結局はそれがなんだか目にみえない。人格の画一化?だからなに?(恐怖だけではないけれども)それを目に見えるようにする、感覚的に分かるようにしたものがこの『コネクティング・ワールド』。
今、わたしはインターネットに接続し、このブログを書いている。それはまた逆に「社会」に接続されていることでもある。インターネットのインタラクディヴィティーが意味するものは、ただの「便利さ」ではい。ネットでは「私」だけが見ているということはありえない。「私」が見ているということは、だれかに見られているのだ。リアルタイムで表示されるポータルサイトgooの検索キーワードの羅列は人々の剥き出しの欲望を浮かび上がらせる。
ここでの未来像もわたしの持つものと同じ明るいものではない。


今の時期はさすがに(どっからきたのか)文化の秋だけある。東京都美術館では「大エルミタージュ美術館展」、上野の森美術館では「ダリ回顧展」。来月からはBunkamuraで「エッシャー展」、東京都近代美術館で「揺らぐ近代 日本画と洋画のはざまに」がスタートする。しばらくエネルギーに関しては枯渇することがなさそうだ。
がんばれ、カネ!!