ART

『森山大道展Ⅰ.レトロスペクティヴ1965-2005/Ⅱ.ハワイ』 森山大道は「アレ・ブレ・ボケ」でも、『新宿』でも、なにか60年代的な「一生懸命な汚さ」を感じてしまいあまり好みではなかったのだが、「ハワイ」展で一掃。ジム・オルークの『Happy days』を使用…

『英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展』 アート的なものが安定して生活の一部となった上での、反美的、言説的、コンセプト的、パフォーマンス的現代アート観。

『モディリアーニ展2008』 モディリアーニの美意識には、ドイツのシュレンマー、イギリスのアングルのような、「身体」や「人間」に関するおもしろい考え方がありそう。

『バウハウス・デッサウ展/BAUHAUS experience, dessau』 文字通り「バウハウス」(という学校)の展示。学生証や学生の課題など、授業に関する細かい品々などは、歴史的(資料的)には凝ってるのだろうが、展示品としてヴィジュアル的におもしろいものでは…

『シュルレアリスムと写真 痙攣する美』 『知られざる鬼才 マリオ・ジャコメッリ展』 『紫禁城写真展』 巡る写美。 シュルレアリスム展:フーコーによれば、統治とはそのまま配置を意味するほど、配置とは重要なものらしいが、この展覧会の作品の配置はいっ…

『Ftarri Festival 東京』 思考が停止したときに初めて体感できる神経系の「音(楽)」がある。今井和雄トリオ(今井和雄 + 伊東篤宏 + 鈴木學)のカオスに感極まれ。

『フリータイム』 チェルフィッチュ。やる気なく語られるセリフと相容れない身体(身振り)、メタレベルでの統一性のない断片的な出来事のレイヤーとしての「物語」は過激に自由を提示する。だが、そうしてぽつぽつと「自由を語る」ということ自体の不自由さ…

『能楽事始・学生のための特別公演 友枝昭世 野村萬 宝生閑 そろいぶみ』 演目「隅田川」。シテ方、友枝昭世。リアルタイムには少なからず退苦痛を感じていたものの、翌朝、おそらく見ているときには、無意識に抑圧されていた友枝の「身振りの悲しみ」が意識…

『世田谷パブリックシアター+コンプリシテ共同制作 『春琴』(2008年) | 世田谷パブリックシアター/シアタートラム』 演出サイモン・マクバーニー。谷崎潤一郎の『春琴抄』、『陰翳礼讃』をもとにしたマクバーニー的日本の美。少なからず「オリエンタリズ…

『北斎 富士を描く展』 きわめて平面的に線形と構図で表現する北斎の浮世絵は、デザインやマンガといった語を連想させる。みえない風を視覚化する「駿州江尻」のダイナミックな構図などはもう鳥肌。

『わたしいまめまいしたわ』 「わたし」と「他者」の境界を問うという、かなり明確なコンセプトのもとに集められ、並べられた現代アート展。少しと言わず、キュレーター側の「わたしはわたしではない」という展示の意図が前面に出ていてうるさく、作品自体が…

『文学の触覚』 アート。平野啓一郎や舞城王太郎などのテクストを用いたインスタレーション。タイトルの「文学の触覚」がコンセプトだが、ただテクストの文字群を書物メディア上ではなく、ビデオインスタレーションとして「アート」すれば、文学における「触…

SPACE FOR YOUR FUTURE - アートとデザインの遺伝子を組み替える アート。東京都現代美術館。プログラムが手もとにないので詳しい整理(ないし想起)はムリだが、この展示にみられるように「アートとデザインの横断」の試みが結局、アートっぽい商品というた…

『エキストラ』 演劇。劇団東京ヴォードヴィルショー。作・演出、三谷幸喜。毎度チケット入手困難な三谷作品を一目みるべく相模大野まで行く、が、つまらない。 会場が市民ホールであるためかセリフがこもり響かない上に、ベタベタなギャグは笑えないにもか…

『審判』 演劇。カフカ。カフカの2次作品といえば、「カフカ的」と形容されるカフカのカフカ性を(具現化するにせよ、あえて無視するにせよ)いかに扱うのか?ということがまず大きな問題であろうが、この舞台では、カフカ性の具現化を斎藤ネコの妖艶な音楽…

LIFE - fluid, invisible, inaudible ... 坂本龍一+高谷史郎のインスタレーション。面白い/面白くないのまえに(最終日だったためか)混んでいて落ち着いて体験できなかった。

『ロマンス』 演劇。井上ひさし作のチェーホフ評伝劇。大竹しのぶ、松たか子、生瀬勝久など、中堅からベテランどころが集まった、グンバツの安定感とうまさの光る舞台(という、なんの面白味もなくて)。ラスト間際の光陰は良かったけど。

狐狸狐狸ばなし 演劇。最前列で。まんねりの、手先の器用さだけのギャグの濫乱で、ぐずぐずで。もしこの劇に篠井英介がいなかったらどうなっていたのだろう。 あと、ケラはいつもスクリーンを使ってキャストの紹介をやるが、あれは(いまや)必要なのだろう…

今週のアート

ル・コルビュジエ展 なぜ最後(であり最期)の建築があの掘っ立て小屋なんだ!?象徴的?原点回帰?保守反動?コルビュジエは最期にどんなことを考えていたんだろー。 展示自体は劣悪。 京劇西遊記−火焔山− 強烈な見世物性(アクロバット、絢爛な衣装、舞闘…

近況報告や日記やアートのことや

今の自分は尖ってるからたぶん長くなる。 秋に院試があったため、夏はいわゆる「小難しい本」を読むことを怠った。その影響だろうか、さいきんどうも思考が鈍い。あたり前のことをあたり前のようにしか考えられなくなっている。これではなんだかつまらない。…

ピンチとチャンスがピチピチと入り乱れ

『ペテン師と詐欺師』 脚本:宮田慶子 脚本:ジェフリー・レイン 出演:鹿賀丈史/市村正親/奥菜恵/愛華みれ/高田聖子/鶴見辰吾/ ブロードウェイで、などはどうでもいい。小学生とか小さいころに観たものの記憶もすべて含めて、このミュージカルはいま…

「さとうきび畑の唄」みたいなものは嫌い

『小鹿物語』 作:輿水泰弘 演出:水田伸生 出演:明石家さんま/真矢みき/山西惇/温水洋一/中山祐一朗/八十田勇一/水沼健/森下じんせい/新谷真弓/生瀬勝久 いま思えばこれ「小鹿物語」なんていうタイトルだったのか。当時の脳内メモリーには「明石…

ふしぎ遊戯はわたしの青春時代でもあったりして

『春風亭小朝 独演会』 もういつに観たのか定かではない。たしかに頭の中の目いわゆる心眼、といっても武士達のよくいうそれ、ではなく想像力を働かせた先のイメージでは明らかに異なる登場人物が老若男女、蒟蒻団子、マンナンライフと現れていた(後者ふた…

そんなものか、染五郎

『松竹大歌舞伎 九代目松本幸四郎「勧進帳」』 出演:松本幸四郎/市川染五郎/市川高麗蔵 まずは、独りごちよう(意思であり意志であり)。もう溜めてはならぬ。まだ大丈夫だろうと思っているうちに水は溢れ出すのだから。 要(かなめ/よう)は、歌舞伎の…

谷原章介に死角なし

『あわれ彼女は娼婦』 作:ジョン・フォード 演出:蜷川幸雄 出演:三上博史/深津絵里/谷原章介/瑳川哲朗/石田太郎/中丸新将/立石凉子/梅沢昌代/高橋洋/有川博/月影瞳/たかお鷹 愛に種類があるとしたら、その愛に纏(まつ)わる感情の機微を数え…

美脚(びきゃく)

『KOKAMI@network vol.8 恋愛戯曲』 作・演出:鴻上尚史 出演:牧瀬里穂/渡部建(アンジャッシュ)/斉藤慶太/大和田美帆/安原義人 哲学および思想に傾倒、しはしないが、嗜好(し、志向し、思考)する私は、純粋に話の展開の面白さ(ストーリー・テリン…

画を観て泣いた日 −連重(れんじゅう)−

『藤田嗣治展』 ここにひとつの問いがある。 人は絵画を観て泣くことができるのか否か。 答えは、否の否。できる。 私はいつかのこの日の今日、フジタの画を観て泣いたのだから。 初期の乳白色の美に始まり、中期というのか、南米に渡っての色彩あふれる立体…

エクリチュールのなすか

『世界遺産 ナスカ展』 文字文化を持たない人間の姿。 それは動物としての人間の姿。 あのかわいい画。まるで宮崎駿のナウシカに出てきそう。でもそれが限界。 ナスカ人がああいう画を書いているのではなく、 ああいう画しか描くことができないのだとしたら……

ICE(いー・つぇー・えー)

『東京-ベルリン/ベルリン-東京展』 してもらった説明は数あれど、覚えていることは、「超特急」という言葉しかなし。 すでにレポートに一筆したのでここであえて書くことはしない。 なぜなら私はメンドリだから。 政治/芸術なんて19世紀的二項対立の時…

フランシスコ・コッポーラ

『ポーラ美術館展の印象派コレクション展』 劇の待ち時間にぶらりと立ち寄ったため、記憶はかなり定かではない。 「まるもったん」でお世話になって以来、モネ、ルノワールなんかは 自分の中でnicht schlechtぐらいの好位置をキープしていたけど、 この作品…