わたしいまめまいしたわ

「わたし」と「他者」の境界を問うという、かなり明確なコンセプトのもとに集められ、並べられた現代アート展。少しと言わず、キュレーター側の「わたしはわたしではない」という展示の意図が前面に出ていてうるさく、作品自体があまり語っていなかった。
そもそも、コンセプト・アートは試み偏重で、作品の作成に明確な意図(ないし意味)があり、テーマ的で、作品の意図を見破ったあとはなんの面白みもないことが多く、あまり好きではない。それに、澤田知子の『IDシリーズ』のように、あまりにも自己の境界を揺らがそうとする(コンセプト・アートは意図があるから多くの場合、能動態だ)ために、かえってその背後にいる、作者の安定した自己同一意識を浮かび上がらせるという、逆説もある。
だが、その中でも、まぎれもなくコンセプト・アートでありながらも、「コンセプト」といった枠からはみ出し、自己を含めた世界の根拠そのもの揺らがせてしまう、高松次郎の『単体シリーズ』や、そもそもはじめからコンセプト・アートの枠には収まりきらない、異界的で不定形な、須田一政の写真『風姿花伝』や、草間彌生の『冥界への道標』は好きだった。