『審判』

演劇。カフカカフカの2次作品といえば、「カフカ的」と形容されるカフカカフカ性を(具現化するにせよ、あえて無視するにせよ)いかに扱うのか?ということがまず大きな問題であろうが、この舞台では、カフカ性の具現化を斎藤ネコの妖艶な音楽とコントラスト次第で不可視にも可視にもなるドア、(フェルメールのような重い)光の陰影が担っている。また、カフカといえば、虫のように蠢く不気味な「群衆」をイメージするのだが、それもコンテンポラリーダンスの要素を交えつつ(素人目にも決して「うまい」舞踏とは言えないけれども)、シュールと言われる作品のイメージをわりかし具現化している。しかし、いってしまえば、カフカの小説をただ可視化しているだけ。これで、カフカに対するなにか新しい世界観が広がったか?といわれれば、確実に否だ。なにより、あの狭く暑いシアタートラムで、(途中、休憩はあるにせよ)カフカ3時間は地獄だ。いや、まさか、これこそが、カフカの群衆性の身体化なのか(!?)
って、んなこたあ。
劇後、止まらぬ片頭痛。ファック!