真理と心理の間

その倒れたフラスコから流れ出すフラストレーション。
真理はいつでも不在だ。不在はまた人を突き動かす。金が欲しいときは金がない。愛がほしいときは愛がない。頭がよくなりたいときは頭がよくない。知りたいときは知らない。神さまはいない。だからこそ神さまを信じることができる。人は不在によって動いている。たしかに欲望する機械だ。
何故生きているか。生が不在だからだ。永遠の命は人を生かさない。生きたいと思うときは生きてない。だからすごいうれいときなぜか、もう死んでもいい!という。つまり、生きたから。だから生きたくないやつはもう生きている。そういう自殺もある。たしかに死の欲動だ。フロイトのその部分は読んでないけど。
そして、もうひとつ。何故ヒトは恋をするか。それは恋がないからだ。恋が不在だからこそ、ヒトは恋をする。もし、これが恋です、ってのがあったらたぶんヒトは恋をしなくなる。最近のヒトは恋をあまりしない(といわれる)。それはドラマだったり、映画だったりで、これが恋です、が溢れてるから。恋がもう不在じゃないから、ヒトは恋をしなくなった。だからね。恋なんて本当はないんだよ。ただ恋する自分がいるだけだ。
この語りの切り口は気に入った。フーコーの外への思考というのもこういうものなのだろうか。分からんけど。そう考えると、自分は今なんの不在によって動いているのだろう。
今は現代で真理がないことに慣れているからいい。でも、ずっとあると思ってた真理がないと分かったとき、ニーチェは辛かったろうな。