飛んでけ本質論

なにやら「自分探し」なんて気にしないのがポストモダン的個人らしい。へー。
今日は、っていつだろう?、ポップな自分に向けて書こう。いつにもましてモノローグだ。ワタシの地図を広げてみたらとてもポップだった。そしてそれを、悔いた、こともあった。ポップな自分バカヤロー。知識偏重ー。研究者とは一途なモノ也。で、最近、つい最近までは、ワタシの不在(知識)、に向かって。猪突猛進していた。いのしし年だし、来年は年男だし。が、今日、っていつだろう?、風呂でラジオの中のミヤダイの(半ば)演説を聞いていて感じた。ワタシはもはやポップにしかなれない。手広く広げた大風呂敷がそれまた破れるまで広げようとするこのポップさからは逃れられない。そして逃れる必要もなし。ちなみに今日、っていつだろう?、スキーをしてきた。場所は山梨。
また物語を紡ぎはじめそうだから、もうやめよう。というかめんどい。とにかく今日、っていつだろう?、感じた多くのことの中のひとつ。「逃がした魚はとても大きかった。でも、そもそもオレは魚なんて好きじゃなかった」。
一日人に会っていると、3日は会いたくなくなる。独りが好き、なわけじゃない。そう思っていたこともあったけど。ただ持ってるゲームがほとんど1Pなんだ。友達の家でエフエフとかロープレやってもおもしろくない。罪悪感とかもあるし。だから、しゃーね。赤い彗星だもの(みつを)。
それにしてもほんとひどくオナニズム。修正液を出せ。
ちなみに、ミヤダイの侵入によって急激な変態を行ったワタシであるが、あまりミヤダイに共感していない。クソを排泄物としてしまってはただ流すだけだ。もっと肥料になったり、体調チェックができたり、食料になったりもするのに。
これはあれはそれはクソクソ言うけど、要は、ただおまえが嫌いなだけだろ。