『めがね』考

映画『めがね』を2回目に見たときに感じたのは、再見ではなく、再会だった。この感情の由来をざっとパラフレーズしておこう。
2回目に映画を見たときの「再会」といった感情はおもに次の2つのことに由来する。1.『めがね』の撮影技法そのもの。2.レイトショー。人もまばらで場末の雰囲気漂う映画の中の映画館(それはたいてい人が入っていない)そのもののようなレイトショーの空間は、日常と非日常の境を曖昧にし、「気散じ」させる。
もうひとつ。めがねの撮影技法。ロングショットの視点は前に記録したので、ここでおもに次の2つ。1.ディープフォーカス。2.ヒトとモノの配置。登場人物だけにフォーカスを当てるのではく、背景ないし空間そのものに眼差しをあて続けるディープフォーカスの連続は、誰か固有の「物語」を提示するのではなく、より抽象化された「世界」を存在させる。それを補うのが、ヒトとモノの等質な配置。アップを少なく、ヒトを中心に置かず、モノも中心に置かない、非中心化された配置(視点)は、「視覚的無意識」(現実)そのもの。
「語る」のではなく、「在る」。包む。