Customeinen

パスカルの「人間は考える葦である」というテーゼはあまりにも有名だが、これまでは多く、その「葦」の方に力点が置かれてきたように思う。だが、そうじゃない。パスカルはなにより「考える」ことの大切さを問うてきた。たしかに、この身体の内にはわけのわからない無意識が潜み、その欲望も他者の欲望によって構造化され、すべては言語ゲームかもしれない。ただ、もしそうだとしても、「我思う、故に我在り」、たしかにこのテーゼは間違っているかもしれないが、ただ、もしそうだとしても、コギトが口をつくのは他ならぬ「我」をおいて他にない。でもだからこそ、

われわれはそこから立ち上がらなければいけないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。
                            [パスカル『パンセ』225頁]

「私」は考えるネットワーク(Netwerk)だ。