ロダン懸垂

書物や映画、音楽など、非人間的なメディアに多くふれていると、強烈に思うのだが、人間(というメディア、と言ってしまおう)とは、まずなにより、「肌」だ。

また、ほぼ日(2/28)から、コピペー。

正直、「優秀なビジネスマン」なんて、
ぼくは、まだ会ったことがないです。
そういうふうな言われ方をしてるらしい人は、
いくらでもいるのですが、
実際には、ぜんぜんつまんないです。
すっごく吹かしてるだけだという気がします。
 
ぼくが、ほんとうにすばらしいなと思える人は、
自分や他人の「たいしたことない」ところを、
よく知っていて、それをまず認めています。
「たいしたことない人間」が、どうやったら、
持っている力を発揮して、人を喜ばせることができるか?
そんな視点で、仕事しているように思います。

おもいっきり「勝ち組」である、糸井重里が上記のようなことを言うことにどれほど真実味があるのか?という反感は、留保するとしても、凄さはつねに「Specific」であるということ。そこから、他者の否定など、地球がどう転んでも、太陽系に惑星Xが誕生しようとも、出来得ないということ。
「自己の肯定」といわずとも、「生きてるだけでまるもうけ」であるということ。