浮きしゃも

日記。Mixiをぶらりすると地元コミ系によくでくわす。しかし、自分はなんらかのこの帰属意識というものが空のように無い。おそらくその原因は自己に分析のメス入れるに、このさきの道程がまた伽藍堂だからだと推測する。またはベンヤミニズムか、ぶるじょわの食傷か。知らぬが。固定した女は持たないしまた持てないという心情ならまだ良し。このごろは自分の身体にさえ、さほど執着がなくなってきているらしい。さき伯林で金がなくなれば、どこぞの同性愛男に100万で尻穴をレンタルしてもいいと室でだべると安すぎるという返答。そう鴨しれない。だがそうまでしていったい自分の何を死守、維持、殺しつづけようとするのか。その喪ラル自体が自分から冬の紅葉のように散っていくのである。