嘔吐、ドローイング、げー、でる

自分は思考に関わる問題系に取り組むことが大好きなんだなということに気づく。今更ながら。例えばびとげんの『論考』やれゔぃすとろーすの『野考』と聞くと自然と「萌え」てくる。おそらくこの場合の漢字はそのmoeでいい。
でもたとえば数学者のゲーデル不完全性定理によれば、「理性には限界がある」し、当たり前!そうした「理性には限界がある」という当たり前の実感を証明するためにはものすごく複雑な理論がいる。いわば、思考に関わる問題系はともすればすぐに抽象的で難解な理論の無限ループにはまってしまう。気をつけよう!インテリ源さん。この問題はひとえに思考に関するテクストの「書記法」に関わっているように思える。たとえば内田樹使う「鳥瞰的視座へのテイク・オフ」の動的で視覚的な思考の表現法はとても実感の観点を大切に描かれている。

想像的に鳥になってみれば分かるはずですが、地表から高く飛び上がれば飛び上がるほど、地上にいる「私」についての情報は増えます。「私」が空間的な布置のどこに位置を占めていて、どのような機能を果たしているのは、何を生み出し、何を破壊し、何を育み、何を損なっているのか……。想像的に確保された「私」からの距離、それが自己認識の正確さを保証します。

寝ながら学べる構造主義 ((文春新書))

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なので、思考の問題系に文化史的ないし身体論的な手触りを!
熱。発熱。まさかー。大量虐殺。