カタツムリはジャンプできない
安部公房『箱男』読中。もう肉汁滴るメディア論かつ身体論。となるとガチの哲学、とはつまり「なにかについてだけ」その公式をえんえんと述べているような哲学といわれる記述法の存在意義、とまで言わなくともおもしろさは如何に?この問題域は哲学をするないし書く側にあるのではなくおそらく読む側にある。つまりいまさら神についてだの実存についてだの観念論だのについて書いてもそれはそれで問題は哲学もまたいわば「物語」のひとつの形式だということを読み手側がしっかりと認識することにある。もちろん哲学と小説では形式が違うのだけど。形式が違えばもちろん内容もそれに応じて異なるのだけど。いわば哲学だって小説とは違うといえども「そういってみるテスト」にかわりはないのだと。だから問うて考えてみておもしろいのはなにをではなくなんでそんなふうに「そういった」のかだろう。その「そういった」は正しいのかではなく。
- 作者: 安部公房
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/05
- メディア: 文庫
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