吉田修一

いきなりだが、私は吉田修一という作家が好きだ。彼の小説には主観がない。あまり多くはないが、別に心理描写がないというわけではない。にもかかわらず、なんというか彼の書く物語には感情というものがない。物語は常に客観的に語られ、そのストーリーも登場人物の「関係」を中心に描かれている。そのため、読んでいて、話の中に入り込むというよりも、登場人物たちの日常をぼーっとのぞき見しているかのような印象をうける。また、彼の小説に出てくる登場人物はいつもどこかもの悲しい。主観を排除された登場人物たちは、どこか自分という役を演じている演者のようである。恋に愛はなく、笑に顔はない。そこでは人でさえも風景の一部にすぎないかのように見える。いつまでも続いているようでいつも終わっている日常。痛いほどせつなく、空虚な今の「リアル」が彼の小説には描かれている。
そんな吉田修一が書いた最新作が『7月24日通り』(新潮社)だ。この小説は吉田修一の「陽」の部分が前面に出された、ラブストーリーとも言える作品で、『東京湾景』に近い。港のある町を舞台に綴られるストーリーは切なくもあるが、どこか懐かしさのような感覚を覚える。また、文章もあまり客観性が強くなく、人物同士の「関係」のほか、わりかし多く登場人物そのものに焦点があてられている。そのため、読んでいる自分は登場人物たちの第三者として作品の中に入り込めた。自分自身としては、あまり好きな雰囲気の作品ではないが、作者の演出力は一段と高まったように思う。その文章表現に使う言葉選びの美しさによりいっそう磨きがかかっており、作中のところどころにちりばめられた色彩豊かなフレーズはまるで詩を読んでいるかのよう。