霊(たま)の記憶

先日、車内に忘れた本を取りに豊田駅。少しぶらり。豊田は、人工的な我が多摩とは異なり、まだ「多摩」の記憶が漂っている。東京郊外としての多摩ではない、「多摩」の鬱陶しさが私は好きで。
たまに(多摩だけに?)、我が多摩が未来の住宅地のように言われることがある。もし未来の街が我が多摩なら、その時、過去はお勉強や情報の対象でしかないのだろう。
うってかわってこの暑さ。早く温暖化がもっと加速したらいい。そしたら水不足だって解消される。