千のプラトー―資本主義と分裂症

千のプラトー―資本主義と分裂症

リゾーム」、「強度」のプラトー。この本は「理解」できない。もし古典的に「理解」しようとするならば、たちまちD-Gの網目に飲まれて、ドゥルーズが言っているのか?ガタリが言っているのか?身動きが取れなくなる。だが、この本の試みは触知できる。つまり、
知覚を変化させること。
思うに「かっこいい」思想書というのは泣ける(もちろん、泣ければ「かっこいい」というわけではないが)。昆虫と宇宙(の音)が互いに分子状に生成変化して、自らを放出し、一つの「器官なき身体」へと接合する以下の記述なんて最高だ。

昆虫は、あらゆる生成変化が分子状であるという真理を伝えるのに鳥よりも適しているのだ。分子状のものには、元素的なものと宇宙的なものを通底させる能力がある。それは分子状のものが形態を溶解させ、きわめて多様な経度と緯度、またさまざまな速さと遅さを関連づけ、形態的限界をはるかに超えるまでの変化を拡張して一個の連続体を確保するからである。[…]ヴァレーズの説明によると、音の分子は数々の要素に分解され、そうした要素は可変的な速度の関係に応じてさまざまな配置をとるだけでなく、全宇宙に広がる音のエネルギーの波ないしは流れとして、つまり激烈な逃走線として作用する。それゆえ、ヴァレーズは、無数の昆虫と星によって、ゴビ砂漠を満たしたのだった。それは世界の<音楽への生成変化>となり、宇宙への斜線となる。

決して交われない「あなた」と「わたし」を「人間」として抱きとめるもの。それが「概念」だ。