竹光侍 3 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

竹光侍 3 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

松本大洋。この漫画を読んでいると、言語では媒介しきれない「見えているものの中にある見えていないもの(ないし、見えていないものの内にある見えているもの)」(クラカウアー的な視覚的無意識)について強烈に意識させられる。もしかすると、ベラ・バラージュの「雰囲気」もこの視覚的無意識について語っていたのかもしれない。

雰囲気はたしかにすべての芸術の魂である。それは空気であり香気である。それは形式の呼気のようにすべての形態を囲繞し固有な世界の媒体を形作る。雰囲気は個々の形象の中に圧縮されている霧のような現素材である。それはさまざまな形態の共通の基体でありすべての芸術の最終的なリアリティである。この雰囲気がひとたび存在すると、個々の形態が十全でなくともそれが本質的なものを損うものとはならない。この特別なものの雰囲気が<どこからくるか>を問うことは、すべての芸術の源泉を問うことである。
         〔ベラ・バラージュ『視覚的人間』佐々木基一ほか訳 51頁〕

僕の関心からすれば(ドゥルーズの『差異と反復』との関連から)、「雰囲気」の他にバラージュが「リアリティ」と「問うこと(問い)」を問題にしていることがあるのだが、さておき。ロマン主義的なテーゼにならって「部分と全体が相関関係にある」とすれば、果たして「批評」などできるのだろうか?この漫画を機に(ヴィジュアルなものを言語で)「批評することの不可能性(臨界点)」に出会ってみてもいい。
だって、ほんとうに不-確定(逃走線)な漫画だもの(みつを)。