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- 作者: 竹宮惠子
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テーマ的に。メディア化、情報化社会、トピックはなんでもいいが、「機械化した社会では人間も機械化する」(たとえば、ブレヒトの『男は男だ』『処置』)という一種の定説がある。否定はしない。だが、この『地球へ…』を読み、それに引きずられて自分の中に出てきた映画『アルマゲドン』『ほしのこえ』、アニメ『電脳コイル』また、バルトの『明るい部屋』を考えて思うことは、メディアは人間的(なと形容される)「思い」(そして、その遠さ、欠如)を増幅しているのではないかということだ。その「思い」とは、恋慕でも、ノスタルジーでも、なんでもいいのだが、決して美談的なものだけでなく、それこそこの『地球へ…』に見えてくる(勢い後期ニーチェの「力への意志」といってしまいそうな)世界を破壊するほどの「思い」の強度を。
消滅してしまった存在の写真は、あたかもある星から遅れてやってくる光のように、私に触れにやって来るのだ。撮影されたものの肉体と私の視線とは、へその緒のようなもので結ばれている。光は触知できないものであるが、写真の場合、光はまさしく肉体的媒質であり、一種の皮膚であって、私は撮影された男や女とそれを共有するのである。
〔バルト『明るい部屋』花輪光訳、100頁〕
「存在」(/現前)に触れる@メディア
描写的に。はっきりした効果線とスクリーントーンが生む硬質で直線的な「世界」(システム)を突き破る、ソルジャー・ブルーの(それこそ、銀河のような)曲線的で多層的な眼差しのコントラスト。