ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

ホモ・サケル 主権権力と剥き出しの生

第一部、例外状態とそれがつくる「剥き出しの生」。第二部、例外状態という、主権的に締め出されることで誕生・抱合される「生の聖性」(ホモ・サケル)であり、「剥き出しの生」。そしてこの「剥き出しの生」とフーコーの生政治の関係を「収容所」を例に(きっと少しは具体的に)考察する第三部は、アドルノ=ホルクハイマーが「出口なし」と呼んだ啓蒙の弁証法的問題にどのような風穴をあけるのか?