金魚すくいは救うことを前提としていない

救済について。
「救済」は必ず「不救済」をうむ。救済が選民を行わず、平等に行使されるならば、「生成の無垢」よろしく、「救済」という語は内破する。だから、「救済」という語が救済することを意味する以上、それは救済しないことでもある。
ほっといてくれ。
にもかかわらず、さも幸福や母性のようなシニフィエを纏い、勝手に、みずからの二分法のコードにすべての存在を巻き付けようとする、「救済」は、なんと厚かましいことだろう。なぜ救われなければならないのか?
ほっといてくれ。