有機野菜が好きだと聞いた

髪を切る。日本の技術、繊細さはハマーだ。際に、雑誌を読む。名は忘れた。なにかアルファベート2文字の、「新しいライフスタイル」を提示するとかいうやつ。そこには、所ジョージ高田純次、各ビジネス界のイノベーターによる人生の格言なるものが掲載されていた。
だが、やめたらいい。そんなもの読むの。その大好きな「役に立」たないから。というのも、その新しさは内発的でないから。ニーチェではなく、漱石を引く。
彼によれば、開化とは「人間活力の発現の経路である」。しかし、開化にも2つ。内発的と、外発的。たしかに、彼は明治維新から現代へとつづく文脈でこの「開化」を語っているのが、それは個人にも応用可能だろう。とは、以下。

西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。ここに内発的というのは内から自然に出て発展するという意味でちょうど花が開くようにおのずから蕾が破れて花弁が外に向かうをいい、外発的とは外からおっかぶさった他の力でやむをえず一種の形式を取るのをさしたつもりなのです。

私の個人主義ほか (中公クラシックス)

私の個人主義ほか (中公クラシックス)

その大好きな「わかりやすさ」というやつ。単純だ。「明治ではなく江戸が好き」なら、甘えるな。頭では立てまい。さかだちもそう長くはつづくまい。おんぶにだっこではそう遠くまで歩けまい。なら、立て。その足で、地に立て。尻の下にはその2本しかない。いやまて。五分五分で、たまにちんこ。