もう〜、ホント、知らないんだからっっ
大好きなアニメ、グレンラガンの映画『天元突破グレンラガン 紅蓮篇』を観た。泣いた。残念すぎて。俺の!グレンラガンはこんな「萌え」アニメじゃなかったから。
- 出版社/メーカー: アニプレックス
- 発売日: 2009/04/22
- メディア: DVD
- 購入: 16人 クリック: 96回
- この商品を含むブログ (68件) を見る
信じてたんだ、ほんとうに。
名シーンだけドラマ2倍増しで、焼き直して、つなぎあわせて、泣けるって?それ、ただの「萌え」じゃねーか。脇キャラつぶして、カミナとシモンの友情だけに焦点あてて、ギガドリルブレイクで、熱いって?それ、ただの「萌え」じゃねーか。ヨーコをよりにゃんにゃんにして、意味もなく脱がせて、乳ぷるんぷるんで、モエーって?それ、ただの「萌え」じゃねーか。
グレンラガンに敵はいなかった。すべてのキャラが「地球を守りたい」というそれぞれの政治性を持ち、超越論的な立場からはなたれ理論をぶっぱなすのではなく、みずから社会参加し(engagement)、たとえ戦い破れても、「兵どもが夢の跡」ではなく、続くものの養分や意志となり、生き続け、明日への扉となる。「負け組」も決してなにひとつ無意味にしない、そんな他者性てんこもりの開いた共同体が、大グレン団だろ。もう時間ねーから、四天王(の3人)まとめて出して、一致団結したグレン団が虹色たっぷりにぶっとばすって?それ、めっちゃ閉じてんじゃねーか。それ、ただのダイヤモンド「勝ち組」イズムじゃねーか。シモンのドリル、ただの「男根」じゃねーか。
信じてたんだ、ほんとうに。
現代ではきっと作品は「作者」だけではなりたたない。映画なんて特にそうだ。映画は制作者側の意図と、享受者側の願望(ほんとうは「願い」といいたい)の間に成り立つ。作品をつまらなくするも、おもしろくするも、てめえ次第(あえてマクロに、大衆、とはいうまい)。なら、作品をなめるな。読者に甘んじるな。「2.0」が好きなんだろ?「読み手2.0」だろ?なら、知ってるか?
「萌え」は作品ではなく、萌える奴の脳内にある(佐藤亜紀)。