うざいんです、カーナビゲーション

自宅にて日経新聞を黙読すると以下の記事。「おしゃべり機械 あれこれ増殖中」。いいじゃねえか、べつに。便器からモーツァルトが流れ出すご時世、機械がしゃべろうと、なにもびっくらする要素なし。むしろ、「聴覚障害者」にとっては、横断歩道にて、三途の川への橋渡しのような「とうりゃんせ」を聞かされるよりは、青です、ときっぱり言ってもらった方がまし、とも考えられる。だが、嫌なのである。以下の三点において。
なぜなら、(1)未来=全自動、もとい、非人間化という単純でいまじねーしょんの不足した「未来予想図」が気に食わないから。なぜなら、(2)機械はつっこんでくれないから。例えばだ。「ゴカイデス」と告げるエレベーターの君に対して、「いや誤解などしておらんでござるよ、拙者も同様に五階だと思っているでござるよ、にんにん」とのたまっても、あいつはいつも「チン!」の一点張りだ。シカト、こいつはいけねえ。他者性がねえから。なぜなら、(3)しまいに、人間が人間の発話を無視するようになるから。記事の中盤、筆者さんは気づいていないが、中島義道の引用にこうある。なぜ多くの人が駅や百貨店などの機械音や放送が気にならないのか?「日本人は障子の向こうの声が聞こえないふりをしたり、音声放送を聞き流したりするのに慣れている」。21世紀もはや9年目をむかえる、こんにちの日本を説明するのに、障子の例はちとあたまがご老人だと思うが、それをぬきにしても、こうテーゼ化することはできまいか?
しゃべる機械の導入は、しゃべる人間、より具体的には、しゃべりかけてくる人間も聞き流すこと、つまり、無視する練習に役立つ。
だが、機械だから嫌いなわけじゃない。あの帰ってくるとまいど俺を「侵入者」よばわりするあいつ、SECOMは大嫌いだが、あの毎回毎回、何度も何度もごんごんと机やら椅子の足にあたまを打ちつけ打ちつけても、文句一つたれず、不器用だが黙々と一生懸命に掃除をつづけるあいつ、Robomopは大好きだ。おまえのがんばり、ちゃんと知ってるぜ!
ほれ、もう擬人法。