俺の思い出はかえらねえのか

誕生日に合わせ、Freie Liebeの相手に送るための写真を整理、ふたりの思い出をより鮮明に残すために日付なんかいれてしまおう、しめしめ、と現像してみると、一年の時差、ならぬ、誤差。右下には、2008/07/28の文字。ちゃうねん、2009年。俺、強烈にへこむ。これじゃいつかこの写真みてふたりの思い出を思い出す度に、一年ずれちまうじゃねえかよと、それうその記憶じゃねえかよと、涙最上川で。も、後、気づく。てか、過去なんてそんなもんじゃね?と。デジカメの設定ひとつで書き換え可能なほど、板橋区の地盤ほど、ぐわんぐわんじゃね?と。そんなカタツムリのうんこみてえなのがおまえたちの大事な思い出なのかよ?と、んで、思ったのである。
なら、過去なんて所詮うっちゃり、その思い出を思い出して感じているいまこの気持ちこそ真実、と。
また、それと似たようなことを、Walter Benjaminというドイツ系の哲学者は"Akutualität"とよんだとか。要約すると、救急車みて親指隠すまえに、正月ぐらい顔みせる。そんなことである。