俺の海よ

アカデミック、教授などという死臭のするポジションに付く気は毛頭ないのだけど、どうやらベルリンで博士論文を書く気配がし始めた。それに、考えてみれば、どこかチキった感のあるダブル・マスターよりは、ドクターをサバイヴする方が生き甲斐がありそうだし、せっかく乗りかかった船なので、やることにした。しかしまあ、この船はいったいどこに行くのだか。「神は死んだ」ならば、誰のみぞ知るのだろう?

蝶のやうな私の郷愁!・・・・。蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角(まちかど)に海を見る・・・・。

私は壁に海を聴く・・・・。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。

「海、遠い海よ!と私は紙にしたためる。・・・・海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。

そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

測量船 (講談社文芸文庫)

測量船 (講談社文芸文庫)

85頁

つねに流動し、漂い続ける不定形の海に母(故郷)を見る。惜別の決意。孤独。

いろいろな「感情のDispositiv(装置)」が知りたい。たとえばもう最低最悪のとき、「ああ死にたい」、なんて思ったりする。でも、なんでまたどのようにして、最悪という感情の発露が死につながるのだろう、ないし、つながるようになる、なったのだろう。「つらいときは死になさい」なんてだれからも神からも教わったことないぞ。