Diskommunikation diskommuniziert Diskommunizieren

永劫回帰死の欲動の理論からどうしても派生する問題系について、小学生でも分かる言葉で大真面目に書く。
過去が未来で、昨日が明日であるならば、今日はいつだろう?

知識や賢さでは退けをとっても、考えることに関しては、もちろんここでは考えることに対して考えることも含むのだけど、とにかく考えることに関しては、その量、強度に関しては、誰にも劣りたくない、いや比較はおかしい、トップタイはありでぜんぜんかまわないのだけど、とにかく考えることに関しては、いまの状況は例外状態になりうるという意味でも、時間はたっぷりあるし、トップでありたいしあるぞと思っているけれども、その先に今日ふと、かがむ女子アナの胸元ぐらいちらりと見えたのは、孤独だった。Diskommunikationは、たしかにコミュニケーションの不全を意味するのだろうけれど、話が通じないことを意味しない。というのも、Diskommunikationは話が通じる/通じないといった、なんとかすれば、伝達方法を工夫すれば、話が通じるようになる可能性を含むような二文法とは違う次元にあるからだ。むしろ、Diskommunikationはその接頭辞であるdis-が「分離」を表しているように、Kommunikationがばらばらになることを意味する。つまり、Kommunikation自体が成立しなくなるのだ。
たとえば、「正しさ」はつねに未来が、後史が決定するのだとしたら、過去の「異常」が未来の「正常」にもなりうる。逆立ちしたバベルの塔をのぼるのであれば、その人はそのとき、ナルシシズムに陥らずに、狂気と呼ばれずに、いったい何を頼りにすればいいのだろう?たとえばもし、こんなことを口ばしったりしたら?そして、自分の思考のベクトルが「その」方向に向いてるとしたら?

私が人間であるというのは偏見です。…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。…アレクサンドロス大王カエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより

時間の箍(たが)を外さずにどうすれば。思考の強度を。