空空しいぐらいの空涙だったのだろう

個人的なこと、空の青さについて。ここ数日続く憂鬱とした気分も今日の水色空を見上げていたら薄らいだ。空はなぜ青いのか、そう考えた。科学的には太陽光線の屈折率によって、「散乱」というらしい、自分はここでむしろ「産卵」と誤記したいけれども、空は青くなるということだけど、それはあくまでも色としての空の「アオ」の説明であって、この「青」という言葉が含む言表とそれを見上げているときの感情まで包括した空の「青さ」が解明されたわけではない。
空はなぜ青いのか?身の回りには人工の色が溢れている。でも、空の青さは人工の色ではない。もちろん森にでもいけば、いやもっと身近に路地にでもいけば、人工ではない色はたくさんある。葉っぱにしても、土にしても、木にしても、どれも人工の色ではないだろう。でも「アースカラー」としてカテゴライズされるような人工色が、主にベージュやカーキなど茶色系を指すように、自分にとって草木の色はもうすでに人工色に近い、というのも、そこにも不思議はあるのだろうけれども、肌色が肌の色を指すように、木の類いはおおまか茶色であるし、草の類いはおおまか緑であろうという単線的な図式が自分の中ですでに成り立っているからだ。つまり、草木は「自然」の色をしている。
でも空の青さは違う。空の青さは青のくせに人工のものではない。その上、物質でない空は飛行機にでも乗ればわかるように本来、色をもたない。ならなぜ空は青いのか?誰か空を青く塗ったのか?きっと西洋の人ならば、それを神の創造に回帰させるかもしれない、東洋の人ならばそこに神を見るかもしれない、でも自分は空の青さを神にはわたさない。空は青い。その青さは、おそらく海の青さと同様、「自由」の青さだ。
Carl Schmittというドイツの法学者はかつて「大地のノモス」(Der Nomos der Erde)について語った、それならば自分はいつか「天空のノモス」について語ろう。

ノモスは、ネメイン[nemein]から、すなわち「分配すること」[Teilen]および「牧養すること」[Weiden]を意味する言葉から由来する。したがってノモスは、そこにおいて民族の政治的および社会的な秩序がラウム具備的に明白にある直接的な形態[Gestalt]であり、また牧養地の最初の測定[Messung]と分配[Teilung]である。すなわち陸地取得であり、また、陸地取得に存しそこから生じる具体的な秩序である。

大地のノモス―ヨーロッパ公法という国際法における

大地のノモス―ヨーロッパ公法という国際法における

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