いぞらちおん

心の安定性に日々が入ったからだろうか、ネットで石田徹也の絵画を閲覧していたからだろうか、両方ともといえるしどちらも違うともいえるが、平穏な「日常ごっこ」の幻想性が露呈し、想像力がえらく空い。
「研究」のためパソコンを使いタイプしている最中に卓上ディスプレイに蛾が止まったものだからおもわずマウスを動かしカーソルで払おうとすると、カーソルは蛾の下を当たり前に空振りするばかりで蛾一匹払うことができない。リアルとヴァーチャルの境界線というボードリヤール的な問いかけはおいておくとしても、パソコン内での行為とは、「深い」の対語としてではなく、なんと「フラット」なのだろう。
要は強くあれということ。自分にとって安定や継続性などナルシシズムと現実逃避が作り出した蜃気楼に過ぎないということ。差異による社会的な価値システムから抜け出る強い意志をもてということ。寄生虫なのだということ。

パラジット―寄食者の論理 (叢書・ウニベルシタス)

パラジット―寄食者の論理 (叢書・ウニベルシタス)

「いき」とは「垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ」である(九鬼周造)。