図図しい

ドイツ関係と梯子飲みで楽しい議論。新宿で。同じ「人」という類なのになぜこうも人それぞれめいめいの考え形を持てるのだろうかと神秘的にさえ思う。こうして他人の考え形といういわば脳内の写し絵めいたものをコミュニケーションにおいて感知することができるのはひとえに「ことば」というメディアのお陰であり、いつぞやの祖先の「ことば」の発明には心から感謝したい。
なにかああしてとにかく議論になる人たちのことを考えていると、18世紀後半に起こったフランスの生き型の革命に対して、『Kritik der reinen Vernunft』(純粋理性批判)のなかで「考え型の革命」(Revolution der Denkart)を唱えたImmanuel Kant(カント)に例えば代表される「ドイツ的概念性」めいたものが共通してあるように思えてならない。
どうせ「不毛地帯」ならば議論の花でも咲かせようか。