饂飩か放蕩

日記。下北の本多劇場で長塚圭史作・演出『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』を見る。酷く卑屈で理屈な自閉症的セカイ、自閉症的快楽に落胆。苛立ちすら覚える。

戦後復興してい升

ピアノ演奏を聴きながらハムを食いながらウイスキーを飲みながら絵筆を動かす。というと、一見、優雅に見えるかも知れないけれども、実はまったくそんなことはなく、というよりその行為ひとつびとつが俺にとって屈辱的であったり、焦燥感をかきたてたりする…

反省しすぎて正反対になるまでハンセイを

成長するに連れ、海が一層好きになりました。泳ぎたいのではなくて見たいのです。金毘羅だから海が好きというだけではなかろうと思います。信仰する体が、海を求めたのです。(103)金毘羅作者: 笙野頼子出版社/メーカー: 集英社発売日: 2004/10メディア: 単…

ドラマ天狗

雑記、「現代の思想」について。自解の意味も込めて、今ひろく身回りで出会う、語られる、論じられる「現代思想」は、痒くて痒くて堪らない知的かぶれのための痒み止め薬のように思う。よりムゴく言えば、流散知人が乞うママのおっぱい。 たとえば佐々木敦の…

でていいてくれ

雑記。万田邦敏の映画『接吻』夕暮れ見。後半。人人しい顔顔しい展開は否定的な意味で裏切られ。でも、冒頭。小池と豊悦の初面会、初対面のくだり。あの、世間、世界からのちぎれ。空虚、虚無、テラン・ヴァーグ、どの言葉も冷たく字滑り。接吻 デラックス版…

sukue

雑記。G電を開くとamazonが相対性理論と渋谷慶一郎のコラボ・アルバム『アワー ミュージック』を推薦。相対性理論には以下の説明文付され。 全天候型ポップ・ユニット 全天候型とな。wikipedia上には、全天候型に続く文字、カメラ、テニスコート、戦闘機など…

戦後復興景色

雑記、「自閉症」と壁理論について。明治神宮を歩く傍ら表参道口の前で「詩人」を見かける。彼の詩には「無職よりも夢職」のようなあまりにもきれいで素朴な夢の言葉遊びが塵ばめられていた。でも、そうしてあまりにもきれいに夢を語ること自体、夢を語るこ…

雨中ショック

雑記、宇宙と国境について。どこかの地上波で、国際宇宙ステーションに長期滞在中の野口聡一さんに向けて地元の人たちが書き初めでエール、とかそんなニュースを見た。別に、野口さんに書き初めでエールを送るから云々ではない。ただなんというか、せっかく…

綴じたるが花のごとく

日記、吃ることと書くことについて。寺山修司著『あゝ、荒野』の主人公「〈バリカン〉が生まれてはじめて買った書物は三二〇ページの厚さの『吃りの治し方』であった。」三島由紀夫の『金閣寺』の主人公、溝口もまた吃りだった。日本のよく知られた文豪たち…

胃丸が好きだといったら、ニッチだと言われた

日記。教養なんてものは、今日用ってだけで、明日用や昨日用じゃないことの言い換えでしかない、というのはどうだろうか。 沢尻エリカ亡き後、もはやイマルの目を信じるしかない。彼女の秋刀魚のような細目を見ているとすべてがチンカスぐらいにしか映ってい…

海女展望の3+ロース

日記。卒業旅行は四国あたりと決めている。せっかく四国に行くのだから、こんぴらさんでも、とHPをみるとあまりにPOPで魚っとなり下手たる。 金刀比羅宮 またこれを機に笙野頼子の評判のどえれえ『金毘羅』でも読んじまおう、てことで、amazonのマーケットプ…

餅よりも悪態をつけ!

日記。執筆の合間にネットでニュースを齧っていると、以下の記事。 09年の英アルバムチャート、S・ボイルが1位に 「奇跡の歌声」などと騒がれている彼女だが、彼女のCDがこんなにも売り上げを伸ばしているのは、むしろそうした奇跡の歌声うんぬん以上に…

渇け後間

日記。2010、デジタルな今年に因んだ抱負。渇く。渇け。渇くとき。渇け。

20102010201202012020121012010110

日記。実家にいるとやることがなく、夜の郊外を独歩する。正月の街は人気(ひとけ)がない。かすかすと足音のみが鳴る。濃厚な月明かりは濃い影を落とす。目の前にはハロゲンの街灯が敷かれている。てんてん。一台の車。自転車。乾いた走行音。2010。今年は…

信念のご挨拶にかえて

新年、明けるまえに、ありがとう。 語る言葉をもたない皆様との過去こそ、わたしの新年そのものです。

浮きしゃも

日記。Mixiをぶらりすると地元コミ系によくでくわす。しかし、自分はなんらかのこの帰属意識というものが空のように無い。おそらくその原因は自己に分析のメス入れるに、このさきの道程がまた伽藍堂だからだと推測する。またはベンヤミニズムか、ぶるじょわ…

落伍者がきく音

研究系。歴史のため息をきくという観点からこのごろ落語にえらく興味が沸騰している。数は知らないのだが柳家小さんの『長屋の花見』など江戸の時代のこまごまばかばかとした忸怩細部まで記録、いたこ召喚されていて幸せな驚愕をよぶ。終論したらすぐさまBダ…

ケチンボはいつだってたちんぼのよう

日記。年の背中が見え始めて、自分はなんというか過去の人になってきたんだなと実感してくる。というのも、こう思うからである。大抵は年は忘れて新年あけましておめでとう今年もよろしくとそろそろいう景色がやってくる。そんな景色が律儀なからっぽに見え…

反省しようそうしよう

回顧録。なにか酔ってひどくやらかした気がする。「空しい」という感情に、「空(そら)」という字をあてたなのはなぜなのだろう。 階段ホールの入り口は黒い穴のようだ。空間の破れのよう。黴臭い風が吹いてくる。どうも足許がふらついている。でも外見上、…

眼はなにをみているか

心象風景。なんというかえらくすっからかんだ。歩くも眼は冬空ではなくアスファルトに向かう。雲散霧消して前がよくみえないし、あまりにもこう体がふわふわするものだから、つい月へと昇天した梶井基次郎のK氏のことを想う。ふかふかのカフカ。どまどまのト…

なんとなくクリステル

心象風景。日本にいるとなんとなく孤独が深くなる。ふとベクトルが違うことに気づくからだ。なんというかどうしようもない。いっそのことぽきっと折れてしまいたい。

歴史になるにはどうしたらいいですか

自身の研究のモチーフと最近みた映画について。哲学も芸術も結局は歴史であるし、歴史となる。つまり歴史の貯蔵庫として。ここで問題はどのような歴史を、といった内容の問題はつねに形式でもあるのだから、どのように歴史を保存するかということになる。こ…

缶詰ラレル

愚痴る。缶詰は腐りづらいというのはまったくの赤嘘だ。修士論文、もはや変換ミスらせて、終止、終始、収支論文でもいいーんじゃねえかっつう、で缶詰状態が常態の脳内はぷさぷさに腐っちまってる。ああーもうー、なjhf’ぽあj’あえj’あg’いh、

ルイ14世曰く、私の中には太陽が宿っている

回顧と整理のための日記。目と耳をかっぱ開くと周囲は恐ろしく暗闇だったりする。その暗闇を眼の、耳の前にして態度は少なくともふたつに分かれる。ひとつはその暗闇から眼をふさぎ眠りこむこと。もうひとつはその暗闇そのものを目覚める力へと変えること、…

記憶の海に溺れてたい

私的劇画化と記憶、愛について。こないだ駅の地下道で竹内結子のプレミアムモルツ広告をみて惚れてしまいああタイプだななんて思った。こんないまの竹内結子というたとえキレイ現役であれ年齢的には「年増」の女性をタイプと感じるなんてことは、モーニング…

襞に出会うと幸せになる

最近の私的流行について。「研究」と称して映画経験における身体性などというものを考えていくうちにバラバラだった文献、引用、思考のピースは「襞」という一語においてやっとひとつの「星座」へと凝結していきそうな気がする。思えば、さいきんの日常生活…

内蔵を貪り掻きたい

ただの心情吐露について。もう考える、「思想」という言葉が含むようなエッセンスを2倍増しにして、思考することに疲れて頭がまた砂袋のようである。加えて、なにやら左肩甲骨あたりがやたらと自己主張してくるし、内蔵のあたりもきのうからうずいている、ま…

起こりうることはすべて起こりうる

親の小言とひとつの生きしるべについて。基本的に親の小言は「親の古言」以上に聞く耳をもたない。が、ひとつ心にとめている小言がある。それは、なにかがつまらないのはおまえがつまらないと感じているからだ、という説。かなり当たり前だし、ヘタをすれば…

甘えたいときはふたりでただひたすら無言で飲もう

自分の唱える燃焼理論について。自分は、自分に対するなんらかの甘えをつくらないために、甘えが発生しうる原因そのものを願望的には消去するために、結局のところはおそらく抑圧するために、その手段として意志を設定し、意志の強度によって散漫な活動を束…

空空しいぐらいの空涙だったのだろう

個人的なこと、空の青さについて。ここ数日続く憂鬱とした気分も今日の水色空を見上げていたら薄らいだ。空はなぜ青いのか、そう考えた。科学的には太陽光線の屈折率によって、「散乱」というらしい、自分はここでむしろ「産卵」と誤記したいけれども、空は…